みなさんこんにちは。看マジョ編集部のフクヤマ ミホです。
この記事では、いわゆる『3K』の仕事から脱出したい看護師さんに向けて、『3K』から脱出に成功した体験者のお話しをご紹介します!
かつて看護師の仕事は「3K」と揶揄された時代がありました。
※揶揄(やゆ)とは・・・からかうこと。皮肉をいうこと。なぶること。
『3K』とは、「きつい」「汚い」「危険」の3つの頭文字「K」を集めたもので、看護の仕事では以下の内容を含んでいます。
「きつい」:身体介助、夜勤、人の命に関わる責任の重さ、死と向き合うことなど
「汚い」:排泄介助、吐物、唾液や痰、ドレーンからの排液など
「危険」:血液からの感染、飛沫感染や接触感染の危険、放射線の危険など
確かに看護師という仕事には、こう言った一面があるのも事実です。
特に看護師の地位がそれほど高くなかった昔は、よく『3K』とか『7K』とか言われたものです。
しかし看護師は今や、社会にとって欠かせない重要な仕事ですし、女性が経済的に自立して生きていくのに最適な仕事だと言えます。
しかも、やりがいがあってたくさんの人々に感謝される、とっても素敵な仕事です。
・・・でも今日は、「素敵な仕事なんだから『3K』なんて気にせずに、頑張ろう!」というお話ではありません。
看護師だって人間ですから。
家庭や家族だって大事だし、家族のためにも『3K』から離れたいと思ったりもします。
そういう人たちを責めるべきじゃないし、「耐えるべき、我慢すべき」というのはおかしい!と、看マジョ編集部は考えています。
誰だって、得意不得意があるんです。『3K』がどうしても苦手な看護師だっています。
今日は、転職により『3K』から脱出した看護師たちの体験談をご紹介いたします☆
看護師免許を活かして、もっと手軽に、もっと楽しく♪看護師ライフを楽しむような、そんな働き方があってもいいよね☆というお話です。
『3K』がない職場へ転職した人たちの事例
『職種』を変えた看護師たち
事例1)看護師から治験コーディネーターへ
事例2)看護師から保健師へ
事例3)看護師から開発モニターへ
『職場』を変えた看護師たち
事例4)整形外科病棟から健診センターへ
事例5)小児科病棟から保育園へ
事例6)混合病棟から外来へ
事例7)内科病棟からクリニック看護師へ
それでは、一つずつ見ていきましょう。
『職種』を変えた看護師たち
事例1)看護師から治験コーディネーターへ
(大阪府・30歳既婚)
以前は6年間、脳外科・外科混合病棟に勤めていました。
脳外科では寝たきりの患者さんの身体介助が多く、まさに『3K』の職場でした。
知人の紹介で治験コーディネーターへ転職。
治験コーディネーターは、デスクワークがほとんどで、患者さんの身体介助や採血などの医療行為を行うことが禁止されており、転職と同時に『3K』から解放されました!
もちろん、精神的な「きつい=大変」はありますが、どの仕事にもある普通のレベル。
看護師時代のような苦しい「きつさ」はありません。
事例2)看護師から保健師へ
(千葉県・23歳独身)
新卒で内科病棟に入職したものの、仕事の『3K』に耐えられず一年であっさり辞めてしまいました。
私にはもう看護師は無理なんだ〜!と悟り、両親にお願いして保健師の学校へ通わせてもらいました。
1年間の寮生活で保健師免許を取得し、幸いなことに保健師として就職も決まりました。
今は、市の保健師として母親学級や健康相談などを担当しています。
ほとんどが事務的な仕事ですし、『3K』から逃れることができました!
事例3)看護師から開発モニターへ
(東京都・29歳独身)
5年間ICU看護師として勤めていましたが、私の場合は夜勤の「きつい」、感染の「危険」の2Kが特にが苦手でしたね、、、。
27歳のときに思い切ってワーホリで1年間オーストラリアへ行きました。
帰国後は『3K』から離れられて、英語が活かせる仕事に就きたかったので、色々と調べた結果“開発モニター”へ転職しました。
開発モニターは、出張が多く全国を飛び回る日々ですが、夜勤はありませんし、危険な事もありません。しかもお給料も看護師より多いぐらいです。とても満足してます!
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『職場』を変えた看護師たち
事例4)整形外科病棟から健診センターへ
(東京都・36歳既婚)
私は整形外科病棟に勤めていました。
整形外科は、比較的元気な若い患者さんがいる一方、大腿骨頸部骨折でそのまま寝たきりになり、すぐに退院できない患者さんもたくさんいました。
しかも、そんな患者さんは免疫力が下がり、インフルエンザやら肺炎やらを併発してしまうことも度々。
それゆえ『3K』の仕事も多かったです。
まだ子供が小さく、風邪やインフルエンザなどの感染症をもらってしまうのはどうしても避けたかったので、健診センターに転職しました。
「採血」の際の「危険」はあるけれど、それ以外の『3K』からは解放されて満足しています。
みなさまの健康のお手伝いも、看護師の大切な仕事だと思います。
事例5)小児科病棟から保育園へ
(石川県・28歳独身)
以前は小児科病棟に勤めていました。
幼くして命を落としてしまう子ども達を目にして、とにかく体力的にも精神的にもきつかったです。
子供の「汚い」は全然平気だったのですが、精神的な「きつい」が一番堪えられなかったのかも。
うつ病になりそうなくらいしんどかったので、転職サイトを利用して保育園看護師に転職しました。
今は、毎日元気な子ども達と触れ合えるのが幸せです。
夏場のプール遊びなど、体力的に「きつい」ことは多々ありますけどね(笑)
事例6)混合病棟から外来へ
(福岡県・32歳既婚)
私はもともとスポーツ音痴で運動は一切ダメ。
体力も全然なかったんです。
6年間混合病棟に勤務していたんですが、身体介助や夜勤による体力的な「きつい」に耐えられず外来に異動させてもらいました。
外来では、毎日のように抗がん剤投与があり、そう意味での「危険」はあるものの、体力的な「きつい」がなくなったので全然大丈夫。
今では楽しく働いています。
事例7)内科病棟からクリニック看護師へ
(京都府・35歳既婚)
看護師9年目で結婚したんですがなかなか子供ができず、妊活を始めました。
妊活中に、「規則正しい生活」の大切さを痛感したものの、病棟勤務では夜勤を免れません。
思い切って10年勤めた職場を退職し、クリニックへ転職しました。
クリニックでは、日勤だけの規則正しい生活が送れますし、『3K』もほとんどありません。
転職してから4ヶ月後、なんと、自然妊娠できたんです!本当にうれしかったです!
子どもが大きくなったら、また病棟勤務にもどってもいいかなと考えています。
さいごに
今日は、『3K』からの脱出に成功した転職体験談をご紹介しました。
『職種』を変えた看護師たち
事例1)看護師から治験コーディネーターへ
事例2)看護師から保健師へ
事例3)看護師から開発モニターへ
『職場』を変えた看護師たち
事例4)整形外科病棟から健診センターへ
事例5)小児科病棟から保育園へ
事例6)混合病棟から外来へ
事例7)内科病棟からクリニック看護師へ
米国の思想家であり哲学者でもある、ラルフ・ワルド・エマーソン(1803~1882)は、こんな言葉を残しています。
絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。それがもっとも素晴らしい偉業である。
世の中の数え切れないほどの看護師たちが、『3K』と言われる仕事をものともせず、使命感を胸に、日々患者さんと向き合っています。
それは本当に誇らしく、素晴らしいことだと思います。
しかし一方で、『3K』にどうしても耐えられず、苦しんでいる看護師がいるのも事実です。
世間の人々は、そんな看護師に「そんなことを口にすべきではない。我慢すべきだ。」という暗黙の“正義”を押し付けます。
でもそんな押し付けの“正義”に従う必要があるのでしょうか。
どうしても『3K』に絶えられない、、、
それもまた、“自分らしさ”でもあるのだと、看マジョ編集部は考えます。
あなたも“自分らしく”あり続けることに、引け目を感じる必要はありません。
看護師が活躍できる仕事は、あなたが知っている以上にたくさんあるんです。
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